私たちにできる大切なこと。その2。
14日からの九州地方での地震
被災していない私たちが今できること
私が思う大切なこと
さきほど書きました。
その続きです。
九州の次はどこだ
とか
話題になってますが、
今は、どこにいても、何があっても不思議じゃない
我が家が、阪神淡路大震災の時に芦屋にいて、東日本大震災の時に東京にいたっていう話を
地震の話じゃなく、何年かぶりに香川で再会した人と、
遡って、会ってなかった時の話を、お互いにしていたら
「阪神の時に芦屋で、東日本の時に東京にいたってこと⁈
なんで香川に来たんや!」
と言われました(ー ー;)
そこでは笑い話でしたが
私たちに地震を起こす力なんてありませんから。
南海トラフは、必ず備えが必要ですから。
今、私たちにできることで大切なことは
どこに住んでいても
備え
です。
とは言っても、体験者の私たちも、しっかり備えができているかと言われたら、お恥ずかしい限りです>_<
まずは、自分のケアをしていたので、
今朝になって、やっと、非常時用のリュックを点検しました。
我が家は、緊急で避難する時用のリュックを各自分、作っていて、
もう一つ、旅行バッグの大きさの物に、もうちょっと本格的な避難用のものを入れています。
今朝、点検したら、私のリュックには
新聞紙、レジャーシート、フリース、カッパ、簡易寝袋、トイレポンチョ、生理用品、ビニール袋、歯ブラシ、マスク、ウエットティッシュ、ティッシュ、軍手、絆創膏、ミニ懐中電灯、ノート、ペン、タオル、下着、水
が入ってました。
ダンナサンの方にも似たようなのが。
大きい方には、毛布一枚、箱テイッシュ2つ、ラップ、紙コップ、ウエットティッシュ、軍手、ゴミ袋、ジップロック、新聞紙、レジャーシート、チャッカマン、アルコールジェル、水のいらないシャンプー、非常食
が入ってました。
でも、水は期限が切れてたり、ほんの少し入ってる非常食は期限がもうすぐ切れる。
家にいくつかある懐中電灯は、どれもつかない>_<
色々、また足したりしないといけません。
経験があっても
季節が違ったり、その時、どこにいるのか、とか、避難するのか、家にいないといけないのか、車の中か、とかによって違うから、これがあると大丈夫とか、こうするといいってことは、経験も役に立たなかったりします。
今、準備してるもので、これは、良さそうって思うのは
↓これ。
トイレ問題、どこにいてもあると思います。
何もないとこで
ってこともあるかも。
トイレポンチョ
使ったことないけど、着替えとかにも良さそうだし。
非常用トイレ袋っていうのは、水がない時に、使えるものみたい。
あ!バケツが必要なのかも。
今の時期でも夜は寒いだろうし、簡易寝袋も良さそう。
手なんて洗うお水もなかったり、もったいなかったりするから、手を消毒するジェルタイプのアルコールとかも。
阪神の時に芦屋で被災した時は、社宅だったので、避難せずに、まずは自宅待機を命じられました。
あの時は、今よりも知識がなかったし、経験もなかったし、状況が違えば参考にならないと思うけど、あの時、したこと、一応、ここに書き留めておこうと思います。
明け方、激震があって、揺れがおさまって、
直後は電話が通じたようで、大阪の実家から電話がありました。
大阪は、芦屋ほどの揺れがなかったことと、お互いの無事を確認。
その後、電話は通じなくなりました。
東日本の時は、義理姉と連絡とった気がします。
直後に、身内の人一人だけでも無事を確認できたら安心ですけど、それも可能かどうかわかりませんね。
そのあと、とにかく怖くて、状況がわからず、外に出ました。
どこかでガス漏れがしてるから、すぐにガスの元栓を閉めるように
とお隣の人に言われました。
大きい揺れの時は、勝手に閉まるというのを、東日本の時は聞きましたが。
とにかく家中の物で倒れなかったものはなく、ガラスや冷蔵庫のものが散乱してたから、家の中を歩くのも危険。
靴で歩く必要があります。
その後、社宅の人から、もうすぐ貯水槽の水がなくなる警報ランプがついてると連絡があり、
すぐにお風呂にお水を張り、その時は、電気は通じていて、炊けるだけのお米を炊きました。
ただ、台所のものも何もかも倒れたので、米びつの中には、ガラスの破片が入ってました。
それは、気をつけて、よけて、炊いたのだと思うけど、その後、今も、米びつは使わず、買ってきた袋のまま、冷蔵庫の野菜室に入れています。
炊けたごはんで、おにぎりをにぎりました。
それがあったから、助かったけど、寒い時だったから、冷えたご飯が辛かった。
贅沢は言えないし、食欲もあまりなかったけど。
避難所に避難しないと、食料もないので。
近くのスーパーが駐車場で配給だったか、売っていたのか忘れたけど、そういうのをしてくれて、凍えるような寒さの中、並んで、並んで、パンかカップラーメンかを一人ひとつだったかな。
でも、食べることより、水がほんとに大事でした。
運良く、社宅でお風呂に水をはるように、連絡してくれた人がいたので、その後、すく>_<にお水は出なくなった時も、お風呂のお水は、手を洗うか、トイレを流すかの時に使えました。
私たちは、2日か3日くらいで、それぞれ、家族は実家に帰れることになり、関東の人が多かったので、みんな関東へ、旦那さんは、会社が用意してくれた寮だったか、ホテルだったかへ。
うちは、大阪に私の実家があるので、ダンナサンと2人で実家へ。
その時、電車が通ってる何駅か先まで、線路伝いに歩いたけど、余震がその間もあって、電柱が倒れて、電線が垂れ下がってきたり、危険もあったので、私は、ずっとフードをかぶってました。
帽子とか、ヘルメットとかもあるといいと思う。
あとは、家族が一緒じゃない場合もあるから、緊急の時の避難先とか、連絡方法とか決めていればいいですよね。
前はうちも、相談してたけど、引っ越してから決めてないし、避難場所も確認しないと!
私も、かなりの準備不足。
備えは必要だけど
思考は現実をつくるから。
あまり心配しないようにと思います。
ほんとに。
あとは、こんなのも。
時間ある時、読もうと思います。
あと、こんなのも。
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